「謝罪」という行為と言葉

昨日は8月15日、終戦記念日でした。

終戦記念日によく、「謝罪」という言葉を耳にしますが、諸外国が日本に要求する「謝罪」とは一体どのようなことを指すのでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9D%E7%BD%AA

英語のapologyと日本語の「謝罪」の意味が少し違っているように、韓国語やその他東アジア諸国で使われている言葉で、日本語には「謝罪」と訳される言葉は、日本で言う「謝罪」とはニュアンスが違うんでしょうか。

卒業論文は、「謝罪の社会学」というテーマで書きました。
そのせいか、今でも「謝罪」というのが気になります。

無知と言われればそれまでなのですが、上記のwikipediaの「謝罪」の項目の年表を見ると、何度となく「謝罪をしているように見受けられる」のですが、文中に示されている「お詫び」と「謝罪」は違うんでしょうか。

一体、「謝罪」を要求する人たちは、どのような内容の行為及び発言を望んでいるんでしょうか。

疑問です。

ある事件の被害者と加害者の対面により、加害者からの謝罪・被害者の赦し・そして癒しに重きを置く「修復的司法」というものが最近注目を集めていますが、法律の中で「謝罪」という行為が具体的に定義されているわけでもないでしょう。にも関わらず、それが重要だとされる理由って一体何なんでしょう。

日本とアジア諸外国の関係に限らず、人間関係の中で「謝罪」という言葉・行為ほど重宝され、一方でその定義が曖昧じゃないものも多いのではないでしょうか、と私は考えますが皆様は「謝罪」についてどう思いますか。

堅苦しい文章でごめんなさい。
心から「謝罪」します。