傘がない

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない・・・・


これは、井上陽水が1972年に発表したアルバムに収録されている「傘がない」という曲の歌い出しです。以前にも、この歌を話題にしたことがありますが、今日はもう少ししっかりと話題にしてみましょう。

確かに、「自殺する若者が増え」ることは、その国や社会全体にとって「問題」であるように思われますが、市井の人々にとってもっと身につまされる、切実な問題は、今、目の前に降っている雨に対して傘がないこと。大多数の人が共感できるかもしれませんし、僕が仮に、目の前の雨に対して傘がなかったら困ります。せっかくオシャレしても濡れますしね。ただ、それを「自殺する若者の増加」という「社会問題」と比較して堂々と述べるあたり、この歌には衝撃を受けました。

前にも書きましたが、僕の仕事上のお客さんで陽水好きの46才の人とこの歌の話をしたことがあります。その時に言われていたのは「この歌が日本の個人主義の走りだ」と。先述の通り、この歌は1972年が初出です。陽水の前後、終戦直後の歌謡曲ドリフターズ等々、あるいはグループサウンド、さらには吉田拓郎南こうせつなどからこのような社会観を見出すことができるか・・・。あるいは、「傘がない」以後はどうか・・・・。詳しく調べてみると興味深いかもしれませんね。

ルースベネディクトがかつて「菊と刀」で「恥の文化」と日本文化を評したことがあります。今の日本が、「恥の文化」で形容できないのは、少し前の日記でかくこさんが指摘したように「他の国の表面的な考えやアイデアを日常的に無作為に取り入れ過ぎている」、「当たり前パワーが弱まっている」ことにその一つの原因があるかのように思われますが、その芽生え、こうした社会とは切り離された新しい何かが日本に誕生するきっかけが「傘がない」に見られるような気がいたします。

どうしてこんなことを書いたのかというと、前の日記のかくこさんへのリプライと、某soheidonさんとのチャットの中でこの話題が出たので書いてみました。長々とおつき合いいただいた皆様、ありがとうございました。